データ活用の仕事をしていると、こんなことを言われることがあります。
「これからはデータが全てを決める時代だ」
正直に言います。 そんなわけない。
勘・経験・度胸は「悪」じゃない
日本のビジネスでよく批判される KKD(勘・経験・度胸)。「それじゃダメだ、データに基づいて判断しろ」というのがここ数年の風潮です。
でも、現場を見ていると思うんです。KKDで回っている組織は、実はけっこう強い。
20年その地域の観光を見てきた人の「今年は○○が来る気がする」という勘。何度も失敗してきたからこそわかる「この施策は続かない」という経験則。データが揃わなくても「やってみよう」と決断できる度胸。
これらは、データでは代替できない 人間の判断力 です。
データ至上主義の落とし穴
「データに基づく意思決定」が正義のように語られますが、現場ではこんなことが起きます。
データが揃うのを待って、機を逃す
完璧なデータを集めようとして、意思決定が遅れる。市場は待ってくれません。 「70%の情報で判断する」 くらいのほうが、結果的にうまくいくことが多いです。
数字に引っ張られて、本質を見失う
KPIの数字だけを追いかけて、目の前のお客さんの声を聞かなくなる。ダッシュボードの数字は上がっているのに、現場は疲弊している。そんなケースは珍しくありません。
データ活用で本当に必要だったもの でも書きましたが、本当に大事なのは「何を見たいか」を言語化できるかどうかです。数字を見ることが目的になってしまうと、本末転倒です。
「データがないからできません」が口癖になる
データ分析が文化になると、逆に「データがないと動けない」という思考停止が起きることがあります。データがなくても判断しなきゃいけない場面は、現実にはたくさんあります。
本当に強いのは「KKD+データ」
自分がデータ基盤の仕事をしていて感じるのは、 データは「判断の精度を上げる道具」 だということです。判断そのものではない。
強い組織は、こう使い分けています。
| 場面 | KKD | データ |
|---|---|---|
| 仮説を立てる | 経験と勘で「たぶんこうだろう」 | — |
| 仮説を検証する | — | データで「本当にそうか?」 |
| 判断する | 度胸で「よし、やろう」 | データで「リスクはこの範囲」 |
| 振り返る | 経験として蓄積 | データで次の仮説を立てる |
つまり、KKDとデータは 対立するものではなく、補完し合うもの です。
現場の肌感覚を信じていい
データ基盤を作る仕事をしている自分が言うのもおかしいですが、 「現場の肌感覚」はもっと信じていい と思っています。
あるDMOの方が言っていました。「数字を見る前から、今年は○○エリアの人が増えている気がしていた。データを見たら本当にそうだった」と。
この「気がする」は、何年もその地域を見てきたからこそ持てる感覚です。データはそれを 裏付ける ために使う。逆にデータが肌感覚と違ったら、「なぜ違うのか?」を考える。
そのサイクルが回ったとき、初めてデータ活用は現場の力になります。なぜ今、観光地経営を「科学」するのか で書いた「科学する」の本質も、まさにこの繰り返しです。
データ屋として伝えたいこと
データ基盤を作る会社の代表として、あえて言います。
データは万能じゃない。 でも、 あると判断が楽になる。
勘で立てた仮説を、データで確かめる。経験則が正しいか、数字で裏を取る。度胸で決めた判断を、データで振り返る。
この 「KKD+D(Data)」 のサイクルが、自分たちが目指しているデータ活用の形です。
「データが全てを決める」なんて言うつもりはありません。でも、「勘だけで十分」とも思いません。両方あるから、判断が強くなる。
データを整えるところから始めたい方は、データウェアハウスって結局何なの? も参考にしてみてください。
まずは、今ある肌感覚を言語化するところから始めてみませんか?