インバウンド絶好調。でも、その裏側では

2024年、訪日外国人旅行者数は約3,687万人と過去最高を記録しました1。Condé Nast Traveler誌の読者投票では日本が2年連続で1位に選出され2、世界経済フォーラム(WEF)の観光開発指数でも3位と高評価を得ています3。観光消費額も8.1兆円に達し1、日本の観光産業は大きな成長を遂げています。

華々しいニュースが続く中、私はある数字が気になっています。

訪日外国人の延べ宿泊者数は、三大都市圏(首都圏・中京圏・近畿圏)に約7割が集中している という事実です4

残りの約3割のパイを、その他の地域が分け合っている。

これは、日本の観光が持つ多様な魅力が、世界に十分に届いていないことの証左ではないでしょうか。

オーバーツーリズムに悩む都市がある一方で、素晴らしい観光資源を持ちながら訪問者が増えない地域がある。この二極化は、単なるマーケティングの問題ではありません。

その根底には、国際標準のデスティネーションマネジメントからの遅れと、デジタル・トランスフォーメーション(DX)の遅滞が存在しているのではないか。そう私は考えています。

DMOとは何か——ただの観光協会ではない

DMO(Destination Management Organization)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

日本では「観光地域づくり法人」と訳されることが多いのですが、この訳語が誤解を生んでいるように感じることがあります。

現代の観光戦略において、DMOは単なる観光協会やマーケティング組織ではありません。 地域全体の観光価値を総合的に創造・管理し、経済・社会・文化・環境の持続可能な発展を導く「司令塔」 としての役割が国際的に求められています。

世界持続可能観光協議会(GSTC)の基準を踏まえると、DMOには以下のような要素が求められます5

GSTCの観点から求められるDMOの要件

  • 責任体制の明確化: 責任範囲が文書化され、関係者に周知されていること
  • リソースの確保: 活動規模に見合った資金・人材が確保されていること
  • 効果的な連携: 地域内の関連組織と連携体制が構築されていること
  • モニタリング: 継続的な指標管理と改善サイクルが回っていること

つまり、DMOは地域全体の「経営」を担う存在なのです。

日本の現状——「情報発信」という最初の壁

では、日本の地方観光におけるマネジメントは、この国際標準からどの程度の位置にあるのでしょうか。

残念ながら、かなりのギャップがあると言わざるを得ません。

全国には1,718の市町村(+東京23特別区)が存在しますが6、SNSでの観光情報発信において十分なフォロワーを獲得できている自治体はまだ少数派です。

情報発信の主軸が、依然として紙のパンフレットに依存しているケースも多い。

これは深刻な問題です。なぜなら、訪日旅行の約85%は個別手配によるもの1であり、旅行者はスマートフォンで情報を検索するからです。

検索しても情報が出てこない。予約システムがない。多言語対応が不十分。

こうした状況では、地域の魅力的な「体験」に、旅行者がアクセスできません。

国際標準のDMOが「地域経営」を議論している一方で、日本の多くの地域では、その前段階である「基本的な情報発信」にすら課題を抱えている。このギャップを直視することが、次なる成長への第一歩だと思います。

海外DMOの思想——「持続可能性」を核に据える

海外の先進的なDMOは、どのような思想で活動しているのでしょうか。

GSTCの基準が示すのは、 持続可能性を担保するための包括的な計画策定 の重要性です5

持続可能なデスティネーションに求められる計画領域(例)

  1. 文化遺産の保護計画
  2. 環境保護計画
  3. 気候変動への適応・緩和計画
  4. 観光事業者のサステナビリティ実践奨励計画
  5. 訪問者管理(ビジターマネジメント)計画
  6. リスク・危機管理計画
  7. 安全・セキュリティ計画
  8. 人材育成計画

「観光客を増やす」だけではなく、文化や環境を守りながら、地域全体の持続可能な発展を目指す。この思想が、計画の形で具体化されているのです。

特に興味深いのは、Green Destinationsの認証プログラムです。このプログラムでは、優れた取り組みがブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナといったレベルで表彰され、世界最大級の旅行博「ITBベルリン」などで国際的にプロモーションされます。

「思想(持続可能性)」→「具体的な行動(認証取得)」→「成果(国際的なマーケティング機会)」

この価値創造サイクルが、戦略的に設計されているのです。

日本の強みと弱み——素材は一流、編集が二流

では、日本には強みがないのかというと、そんなことはありません。

47都道府県すべてが、多種多様な文化、食、景観を持つ国は世界でも稀有です。

隣の県に行けば全く異なる食文化に出会える。同じ場所でも季節ごとに違う景色が楽しめる。

これは、観光立国として類まれなるポテンシャルです。

問題は、そのポテンシャルが十分に活かされていないことです。

  • 情報不足: インターネット上に情報が少なく、検索しても見つからない
  • 予約システムの不備: 体験に申し込む手段がない、または複雑
  • ガイド不足: 多言語対応できるガイドの確保が難しい地域も多い

魅力的な素材は豊富にある。しかし、それらを繋ぎ合わせ、付加価値を高める 「編集」や「プロデュース」 の機能が不足しているのです。

一流の素材を、二流の編集で提供している。そんな状態ではないでしょうか。

データとAIが果たす役割——格差を埋める触媒として

ここで、データとAIの話に入ります。

グローバルなDMOにおいて、データとAIは単なる業務効率化のツールではありません。 デスティネーションの現状を正確に把握し、戦略的な意思決定を下すための基盤 として位置づけられています。

GSTC基準では、DMOに対して以下の指標を継続的に監視・報告することを求めています5

  • 経済的貢献: 訪問者数、消費額、雇用、投資など
  • 環境への影響: 水・エネルギーの消費量、温室効果ガス排出量など
  • 文化遺産への影響: 訪問者フロー、脆弱性の評価など

これが「データ駆動型マネジメント」の思想です。

しかし、日本の地方が直面している課題は、この高度なデータ分析の 「前段階」 にあります。

「そもそも日本の地方の観光情報はネット上に情報が少ない」

この根本的な問題が存在する以上、日本におけるデータ・AI活用の最優先事項は、高度な分析ではありません。

まず「情報のデジタル化」と「情報格差の是正」

ここから始める必要があるのです。

AIガイドという選択肢

具体的な解決策の一つとして、AIを活用した対話型ガイドが注目されています。

例えば、アプリのダウンロードが不要で、QRコードから誰でも手軽に利用できるブラウザベースのAIガイド。多言語に対応し、ITの専門知識がない自治体職員でも簡単に情報を更新できる。

こうしたツールは、日本の観光が抱える「三重苦」を同時に解決するポテンシャルを持っています。

  • 人手不足(特にガイド)の解消
  • 情報不足の解消
  • 言語の壁の解消

さらに興味深いのは、AIが単なる情報提供に留まらないことです。

ある芸術祭の事例では、鑑賞者がアート作品についてAIに語りかけると、AIが「それはどんな匂いがするの?」といった問いを投げかけ、鑑賞者の想像力をかき立てる。単に「見る」だけではない、深い鑑賞体験を創出しているそうです。

日本にとってのAI活用は、海外のようにビッグデータを高度に分析する段階ではなく、まず「情報格差を埋め、基本的な観光体験の質を保証するための不可欠なツール」として位置づけるべきだと、私は考えています。

デジタル基盤の欠如という弱点を、AI技術によって一足飛びに克服する。そんな戦略が求められています。

リピーターという希望

最後に、希望の話をさせてください。

2024年の訪日外国人のうち、 初回訪日は34.3%、リピーターは65%超 という調査結果があります1

これは、日本のファンが世界中にたくさんいるということです。

新規顧客の獲得競争に疲弊するのではなく、既に日本の魅力を知るリピーターに対して、彼らがまだ訪れていない地方の奥深い魅力を丁寧に伝える。

この戦略が、人手不足の時代において最も効果的かつ持続可能ではないでしょうか。

「また日本に行きたい」と思ってくれている人に、「次はここに行ってみて」と提案できる関係性を築く。

彼らを地域の「ファン」として育成し、繰り返し訪れてもらう。

そのためには、情報がきちんと届く仕組みが必要です。そして、その仕組みを支えるのがデータとAIなのです。

おわりに——素材を活かす「編集力」を

日本の観光産業は、さらなる成長のポテンシャルを持っています。政府は2030年に訪日外国人旅行消費額15兆円を目標に掲げています7

しかし、その輝かしい未来は約束されたものではありません。

旧来の慣習から脱却し、国際標準を見据えた構造的な変革を断行することによってのみ、その果実を手にすることができます。

日本のDMOが取るべき3つのアクション

  1. 思想の転換: 「マーケティング(誘客)」から「スチュワードシップ(経営・管理)」へ
  2. デジタル基盤の再構築: 「パンフレット」から「プラットフォーム」へ
  3. リピーター戦略の重視: 「新規顧客獲得」から「ファン育成」へ

AIをはじめとする先進技術は、これらの変革を実現する強力な触媒です。

ただし、技術はあくまで手段。目的は、地域が持つ独自の「物語」を、正しく、そして魅力的に世界中の人々に届けることです。

一流の素材を、一流の編集で届ける。

デジタル基盤の欠如という弱点を、戦略的な技術活用によって強みへと転換すること。それこそが、持続可能な観光立国・日本への道筋だと、私は信じています。


観光地経営におけるデータ活用やAI導入について、ご相談があればお気軽にお声がけください。私たちも、地域の皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。

Footnotes

  1. JTB総合研究所「旅行年報2025 訪日外国人の旅行動向」(2024年の訪日外客数3,687万人、消費額8.1兆円、個別手配約85%、リピーター率65%超) 2 3 4

  2. JNTO「Japan Named World’s #1 Destination for Second Year in a Row by Condé Nast Traveler’s Readers

  3. JTB総合研究所「WEF 観光開発指数2024で日本は3位

  4. 国土交通省 関東運輸局「訪日外国人の延べ宿泊者数は三大都市圏に約7割集中

  5. GSTC「Destination Criteria v2.0 2 3

  6. Wikipedia「日本の地方公共団体一覧」(1,718市町村+東京23特別区)

  7. 国土交通省「観光立国推進基本計画」(2030年目標:訪日消費額15兆円)