はじめに——「データが大事」は、もう誰もが知っている
日本政府観光局(JNTO)の発表によれば、2024年の訪日外国人旅行者数は約3,687万人と過去最高を記録しました1。コロナ禍を経て、観光需要は急速に回復しています。
一方で、帝国データバンクの調査によると、旅館・ホテル業界の人手不足を感じている企業の割合は約7割にのぼります2。現場は悲鳴を上げています。
「データを活用して、もっと効率的に」「科学的な根拠に基づいた観光地経営を」——こうした声は、どこの観光地でも聞こえてきます。
でも、私がいくつかのDMOや自治体と仕事をさせていただく中で感じたのは、「データが大事」という認識と、「データを活用できている」という実態の間には、想像以上に大きな溝があるということでした。

「データを見る」と「データで動く」は、まったく別のこと
ある先駆的なDMOと仕事をさせていただいたときのことです。
そのDMOには、すでに様々なデータがありました。観光客数の推移、宿泊統計、イベント参加者数、SNSでの言及数。月次でレポートも作成されていて、一見すると「データ活用ができている」ように見えます。
でも、実際の会議を見学させていただくと、少し違った風景が見えてきました。
「先月の観光客数は〇〇万人でした」「前年同月比で△△%増です」——報告はされる。でも、その数字を見て、具体的に何をするかという議論には、なかなかならない。
これは、そのDMOが悪いわけではありません。多くの観光地で、同じような状況があるのではないでしょうか。
データを「集める」ことと、データを「見る」ことと、データで「動く」こと。この3つは、実はまったく別のスキルと仕組みが必要なのだと、私はそのとき気づきました。
なぜ、データ活用が難しいのか
観光地経営におけるデータ活用が難しい理由は、いくつかあると思います。
1つ目は、専門人材の不足です。
データを扱える人材は、どの業界でも引く手あまた。給与水準や働き方の面で、地方の観光地が都市部のIT企業と人材獲得競争をするのは、現実的に厳しい面があります。
2つ目は、技術的な整備の難しさです。
「データ基盤を作りたい」と思っても、どこから手をつければいいかわからない。ベンダーに相談しても、自分たちの規模感に合った提案をもらえないことも多いと聞きます。
3つ目は、そもそも何を見ればいいかわからない、という問題です。
「データを活用しよう」と言われても、KPIが何かはっきりしない。数字を追いかけることが目的になってしまい、本来の観光地経営の議論が置き去りになる。そんなケースも少なくありません。
観光地経営における「5つのレイヤー」
私たちがDMOの皆さんと仕事をする中で、少しずつ見えてきた考え方があります。
それは、観光地経営には「5つのレイヤー」があるということ。

一番下にあるのが「結果」のレイヤー。観光客数や消費額といった、誰もが注目する数字です。
でも、結果だけを見ていても、根本的な変化は起こせません。
結果の上には「関係」のレイヤーがあります。住民と観光客の関係、事業者と行政の関係。観光地経営は、こうした関係性の上に成り立っています。
さらに上には「制度」のレイヤー。予約制を導入するか、価格をどう設定するか。具体的なルールや仕組みの話です。
その上にあるのが「判断」のレイヤー。いつ、どのタイミングで、どんな制限をかけるか。日々の意思決定です。
そして、一番上にあるのが「思想」のレイヤー。この観光地は、どこまで観光客を受け入れるのか。何を守り、何を変えていくのか。
多くの場合、「結果」のレイヤーばかりに注目が集まります。でも、持続可能な観光地経営を考えるなら、上のレイヤーから議論を始める必要があるのではないか。そう考えるようになりました。
オーバーツーリズムは「結果」であって「原因」ではない
最近、オーバーツーリズムという言葉をよく耳にします。
京都や鎌倉、富士山周辺など、観光客の増加によって地域住民の生活に影響が出ている場所は少なくありません。
でも、オーバーツーリズムは「結果」であって「原因」ではないと、私は思っています。
本当の問題は、「どこまで受け入れるか」という思想が明確でないまま、なし崩し的に観光客を受け入れてきたことではないでしょうか。
「観光客が増えた」→「渋滞が起きた」→「住民が困っている」→「何か対策を」
この順番で考えると、どうしても対症療法になってしまいます。
そうではなくて、「この地域は何を守りたいのか」「どこまでの観光客数なら許容できるのか」「それを超えそうになったら、どう判断するのか」——こうした議論を先にしておく必要があるのではないか。
データは、その議論を支える材料になります。でも、データだけでは、思想は生まれません。
私たちが考える「科学する」の意味
「観光地経営を科学する」という言い方は、少し大げさかもしれません。
でも、私たちが「科学する」と言うとき、それは「データを集めて分析する」という意味だけではありません。
「思想を言語化し、判断基準を明確にし、その判断を記録して振り返る」
そういうサイクルを回すことを、私たちは「科学する」と呼んでいます。
観光地経営において、データは「判断」を支えるものです。でも、判断の根拠となる「思想」がなければ、データは宙に浮いてしまいます。
逆に言えば、思想があれば、見るべきデータは自ずと決まってくるのです。
「うちの観光地は、年間観光客数〇〇万人を上限とする」——こういう思想があれば、その閾値に近づいているかどうかをモニタリングすればいい。
「地域住民の満足度を下げない範囲で観光客を受け入れる」——こういう思想があれば、住民アンケートの結果が重要な指標になります。
思想が判断を導き、判断がデータを選び、データが次の判断を支える。このサイクルを回すことが、私たちの考える「観光地経営を科学する」ということです。
MORIBITO DMPが目指すもの
こうした考えのもと、私たちは 「MORIBITO DMP」 というサービスを始めました。
名前の由来は「森人(もりびと)」。森を守る人、という意味を込めています。観光地もまた、一つの生態系。来訪者を迎えながらも、その場所の価値を守り続ける。そんな存在でありたいという思いを込めました。

MORIBITO DMPは、6つの要素で構成されています。
A. 経営支援コンサル(思想の言語化)
まず最初にやるのは、「思想の言語化」です。その観光地が何を大切にしているのか、どこまでの変化を許容するのか。対話を通じて、言葉にしていきます。
B. データ基盤構築(蓄積・可視化)
思想が明確になれば、見るべきデータが見えてきます。必要なデータを蓄積し、可視化する基盤を整えます。
C. データ集約支援(入力設計)
データは、誰かが入力しなければ蓄積されません。現場の負担を最小限にしながら、必要なデータを集める仕組みを設計します。
D. アンケート開発(設問設計)
住民や観光客の声は、定量データだけでは見えてきません。適切な設問設計で、本当に知りたいことを聞き出すお手伝いをします。
E. AI活用支援(要約・分類)
大量のテキストデータを人力で読むのは限界があります。AIを活用して、要約や分類を効率化します。
F. 自主財源化相談(持続可能性)
データ活用の取り組みを継続するには、財源が必要です。補助金に頼らない、持続可能な仕組みづくりをご一緒に考えます。
「集計会」から「判断会」へ
MORIBITO DMPを導入いただいた観光地で、私たちが目指しているのは、「集計会」から「判断会」への転換です。

従来の会議では、「先月の数字はこうでした」という報告が中心でした。それは「集計会」です。
私たちが目指すのは、「この数字を見て、次にどうするか」を議論する「判断会」です。
そのためには、事前に判断基準を決めておくことが重要です。
「観光客数が閾値を超えたら、混雑対策を検討する」「住民満足度が一定以下になったら、イベント開催を見直す」——こうした判断基準を、あらかじめ思想に基づいて設定しておく。
そして、データがその閾値に近づいたら、自動でアラートが上がる。会議では、「どうする?」から議論を始められる。
さらに大切なのは、判断の記録です。
「このとき、こういう状況で、こういう判断をした。結果はこうだった」——これを蓄積していくことで、組織として「判断の知恵」が貯まっていきます。
まだ道半ばですが
正直に言えば、MORIBITO DMPはまだ始まったばかりのサービスです。
すべてがうまくいっているわけではありません。試行錯誤の連続です。
でも、いくつかのDMOと一緒に取り組む中で、「データを見て終わり」から「データを見て動く」への転換が、少しずつ起き始めています。
ある観光地では、週次のデータレビューが定着し、「今週は混雑が予想されるから、SNSで分散を呼びかけよう」という判断が自然に行われるようになりました。
別の観光地では、住民アンケートの結果を受けて、観光客向けのマナー啓発を強化。住民からの苦情が減り始めています。
こうした小さな変化の積み重ねが、持続可能な観光地経営につながっていくのではないかと、私たちは考えています。
おわりに——「科学する」ことは、謙虚になること
「観光地経営を科学する」と言うと、なんだか冷たい印象を受けるかもしれません。
でも、私たちが考える「科学する」とは、謙虚になることだと思っています。
自分たちの思い込みではなく、データという事実に向き合う。うまくいかなかったら、なぜかを振り返る。判断を記録して、次に活かす。
それは、観光地という「場所」に対する敬意であり、そこに暮らす人々や訪れる人々への誠実さでもあるのではないでしょうか。
観光は、人と人との出会いです。データはその出会いを支える、縁の下の力持ちのような存在。
私たちは、そんなデータ活用のお手伝いをしていきたいと思っています。
もし、観光地経営におけるデータ活用について、お悩みのことがあれば、ぜひお気軽にお声がけください。私たちも、まだまだ学びの途中です。一緒に考えていければ嬉しいです。
Footnotes
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日本政府観光局(JNTO)「訪日外客数(2024年12月および年間推計値)」(2025年1月15日発表) ↩
-
帝国データバンク「人手不足に対する企業の動向調査(2024年4月)」 ↩