はじめに——会議は「数字の確認」から始まる
「先月の来訪者数は○○万人でした」
報告が始まった瞬間、誰かが口を開きます。
「その数字、どこから取ったんですか?」
私がいくつかのDMOと仕事をさせていただく中で、何度も目にした光景です。会議のたびに、まず 数字が合っているか確認するところから始まる 。
これは、そのDMOが悪いわけではありません。多くの観光地で、同じような状況があるのではないでしょうか。
(関連記事: なぜ今、観光地経営を「科学」するのか)
結論——データが足りないのではなく、定義が揃っていない
観光データが活用されない根本原因は、 データが足りないからではありません 。
「来訪者」の定義すら、組織内で揃っていないからです。
会議室で起きている「数字が合わない」問題
同じ言葉、違う意味
「来訪者数」と一口に言っても、何を指すかは人によって違います。
マーケティング部が言う「来訪者」と、企画部が言う「来訪者」は、実は別のものかもしれません。
以下は、私が実際に見聞きした定義の不統一の例です。
| 用語 | マーケティング部の解釈例 | 企画部の解釈例 |
|---|---|---|
| 来訪者 | Webサイトのユニークユーザー数 | GPSデータで捕捉した域内滞在者 |
| 延べ人数 | イベント参加者の単純合計 | 特定期間内のGPS滞在者IDのユニーク数 |
| 宿泊者 | 提携ホテルからの予約者リスト | 宿泊税の納税記録 |
| 消費額 | 一部店舗のPOSデータからの推計 | アンケート調査に基づく回答平均値 |
どちらが「正しい」という話ではありません。問題は、 同じ言葉で違うものを指している ことに、組織として気づいていないことです。
何が起きるか
- 報告のたびに「この数字の定義は?」という確認から始まる
- 昨年と今年の数字を比較しようとしても、定義が違えば比較できない
- 施策の成果を客観的に説明できない
結果として、経営層はデータを信頼できなくなります。
なぜ定義がバラバラになるのか——3つの構造的原因
定義の不統一は、担当者の怠慢ではありません。構造的な原因があります。
原因1: 担当者依存
データ集計の方法が、特定の担当者の頭の中にしかない。
担当者が変わると、定義も変わってしまう。あるいは、過去の集計方法がわからなくなる。
原因2: ツールの分散
Excel、Googleスプレッドシート、BIツール。各部署が独自のツールで集計している。
「どこにある数字が正しいのか」がわからない状態です。
原因3: 組織内基準の不在
そもそも、 「定義を統一しよう」という意思決定がされていない 。
各部署が独自に動いてきた歴史があり、横断的な基準を作る機会がなかった。
国際社会はこの問題にどう向き合ってきたか
実は、この「定義の不統一」という問題は、日本のDMOだけの課題ではありません。
国際社会は、何十年も前からこの問題に取り組んできました。
TSA(Tourism Satellite Account)という国際標準
国連(統計部)、世界観光機関(UNWTO)、OECD、欧州委員会(Eurostat)——これらの世界的に権威ある機関が共同で策定したのが、 『Tourism Satellite Account: Recommended Methodological Framework 2008』 (観光サテライト勘定、2008年版)です1。現在も国際標準として広く参照されています。
このフレームワークでは、「visitor(来訪者)」や「tourism expenditure(観光消費)」といった基本用語の定義が、国際的に標準化されています。
目的は、 国際的な比較可能性と内部整合性 を備えた、信頼性の高い観光統計を作成すること。
日本のDMOとの乖離
しかし、私が見てきた限り、日本のDMOでTSAを積極的に参照しているケースは多くありません。
これは批判ではありません。国際標準の存在自体が十分に周知されていないのが現状です。
ただ、結果として、日本のDMOは国際的なベストプラクティスから乖離した状態で、データ管理を行っていることになります。
この国際標準と日本のDMOの現状については、持続可能な観光立国へ——海外DMOに学ぶ、日本の観光DX戦略でも詳しく解説しています。
定義が揃わないと、何が起きるのか
定義の不統一を放置すると、どのようなリスクがあるでしょうか。
戦術的リスク
- 会議で数字が合わない: 議論が進まず、時間を浪費する
- 担当者の異動で分析が停止: 過去の集計方法を誰も再現できない
- 半年前の報告書の数字が検証できない: 監査に耐えられない
戦略的リスク
- 補助金事業の成果報告で説明責任を果たせない: 「この数字はどうやって算出したのか」に答えられない
- ステークホルダーからの信頼低下: 議会、観光庁、地域事業者が数字を信じてくれない
- 意思決定が「勘と経験」に依存し続ける: データドリブンな経営への移行が進まない
おわりに——では、どうすればいいのか
定義の不統一は、多くのDMOが抱える構造的な課題です。
「うちだけの問題ではなかった」と思っていただけたなら、この記事の役割は果たせたかもしれません。
しかし、問題を認識するだけでは解決しません。
次回は、 「dbt」というツールがどのようにこの問題を解決するか を解説します。
dbtは、データの定義をコードで管理し、誰がいつ実行しても同じ結果を得られる 「信頼の礎」 を築くツールです。国連やUNWTOが定義した「What(何を)」を、私たちの日々の業務で「How(いかにして)」実現するか。その具体的な方法をお伝えします。
【観光データ基盤シリーズ】
- 第1回: 「来訪者数」の定義、社内で揃っていますか?(本記事)
- 第2回: dbtが観光データに「信頼の礎」を築く理由
- 第3回: 観光DMOのためのdbt導入90日ロードマップ
観光データの定義統一、データガバナンスの構築について、もし課題を感じていらっしゃるなら、ぜひお話を聞かせてください。私たちも、まだまだ学びの途中です。一緒に考えていければ嬉しいです。
Footnotes
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国連統計部・UNWTO・OECD・Eurostat「Tourism Satellite Account: Recommended Methodological Framework 2008」 ↩